往復書簡12通目

書簡 12通目 〜イメージは九九算ドリル〜
from 加藤昌治

石井力重さま

お手紙を読んで、「事実は一つ、真実は人それぞれ」なるフレーズを思い出しました。認知の問題は哲学の中でもずっと議論されてきた問題ですが、人間が人間であるかぎり、100%機械的にインプットすることはできないし、そうあってはいけないのかな、と改めて思った次第です。

また、インプットの必要性とアウトプットの必要性、どっちが先なんですか? 問題のことにも気が行きました。個別案件単位でみれば、当然インプットが先で、頭の中でアイデアになって、アウトプットとして出ていく順番でしょう。

けれども、インプットするクセや習慣づけ、あるいは石井さん曰くの間接体験を直接体験的に捉えられるかどうか、は別だなと。インプットが習慣化するためには、先に「たくさんアウトプットしなくちゃいけない状況」があって、そのために必死になってインプットしないとヤバい! と追い込まれているかどうか、なんじゃないでしょうか。追い込まれ続けると必然的に回数が増えます。回数が増えていくと、気が付けば習慣化している・・・。
ちょっとアナクロかもしれませんが、フィジカルで身体的な習慣になるかどうかは回数にかなり拠っているのでは説、です。

ま、「たくさんアウトプットしなくちゃいけない状況(一つ目の分かれ道)」に置かれていても、ヤバいと思うかどうか、必死になるかどうかが、二つ目の分かれ道になりますね。多くのケースでは、二つ目の分かれ道をどちらに進むかを「自覚」とか「意識」とか「モチベーション」に委ねている傾向があって、結果違う道に行っちゃうことが多いんだろうなあ、とも思います。

この話は「人は育つのか、育てられるのか議論」に直結していくので、またいずれ、あらためて。

さて。

最も聞いてみたかったことを、聞こうと思います。

この20年で発想法の本はずいぶん変わりました。シンプルになり、即効性のものになりました。洗練、といえば、大いに洗練された20年だったと思います。思考技法の表層化、といえば、もしかしたら、後年そう評価される20年だったのかもしれません。

この先20年で、社会から求められていくアイデア発想法の本は(あるいは、広くカテゴリーを切りなおして、創造技法の本は)、どのようなものになるんでしょうか。

この手の質問は、返しの第一声は「そりゃー、それが分かれば苦労しないよ」なんですが、その次に、洞察がつづられていきます。加藤さんの二言目を、ぜひ、教えてください。

うーん。そりゃあ、それが分かれば苦労しませんよねえ。で、二言目なんですが・・・。

個人の妄想ですが、
「単行本からテキストへ」の流れが大きくなるといいな、と思ってます。

書籍って、おそらく3パターンあって、1)学問として研究された成果をまとめた一冊(学術書/論文的な)2)厳密には学問までは届いていないが、ある程度の網羅性、汎用性がある一冊(入門書的な) 3)個人や少人数の体験をまとめた一冊 の3種類。

3番目の個人メソッドが劣っていることはなく、本質をズバリ突いていることも多くあると思います。著者が有名人だから、だけが売れる理由でないはずです。だから、どの種類であってもよいのですが、これらが単行本、文庫本といった、一般的な書籍の形態をとっている以上、読んだ後で行動するかどうか? はあくまでも読み手の判断にゆだねられている構造になります。
好い本は、人を動かすだけの力を持っているはずですが、そうした「性善説」だけに頼っている環境では、総体・全体としてのアイデア力は向上して行かない、あるいは向上するスピードがそれほど速くはない、と考えます。

この先20年経ったときに、世界中のアイデア発想力を上げていくためには、性善説だけの一本足打法に寄りかからない学びの構造、習得の構造があると素敵です。イメージは九九算。子どもの頃に強制的にかもしれませんが訓練を積んだからこそ、いま暗算がある程度できるようになっている。インドでしたか、九九算ならぬ20×20までやるのは? それと同じことで、創造技法も「技」として使えるレベルまで「常識化」することができたら、アイデア力ってもっともっと増していくんだと思っています。

補足すると、「技化すればいいアイデアが出る」ではありません。アイデアを出すこと自体が苦じゃなくなれば、アイデアの数がもっと増える、その中には好いアイデアが含まれる可能性が高くなる、って流れを想定しています。

その意味で、単行本からテキストへ。読み物じゃなくて「やる物」。ないしは「使うもの/使い倒すもの」。書き込みだらけで、端々が折れ曲がっているような? 本として完結してなくてOKで、ドリルみたいなものかもしれません。あるいはペーパーの集合で、綴じてすらないかもですね。
使い終わってから何年かしたら、再び読む気にはならないと思うんですね。でも大事に取っておこうかな? それとも、もう全部アタマに入っているから要らないや! と思うような。そんな感じな「もん」になるといいなあ~と妄想しています。

さあ、この往復書簡も、あと一通で終わりにしましょうか。最後の最後、かとうから石井さんへのご質問です。上記で「単行本からテキストへ」なんて云ったココロは、「選択肢としてのアイデアをたくさん出す、という行為を至って普通の、誰にでもできる習慣にしたい」気持ちの発露からでした。

石井さん、どうしたら「習慣化」されるんでしょうか???

2015年7月21日
かとうまさはる拝

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石井力重さんと加藤昌治の「往復書簡」

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「発想法の使い方」の制作に一緒に携わってくれた(※)石井力重さんと、この一冊を起点にした疑問や質問をお互いにヤリトリしてみようという試み。「これだけ一緒に議論してたとしても、結構わからないことあるんでしょうね?」がキッカケです。

素直に対談、みたいなやり方もあるんだと思うのですが、今回は「往復書簡」スタイル。ヤリトリの間にある程度の時間を置き、答えあるいは応えをそれなりに推敲するーしっかり考え、考え直すーことで、当意即妙のヤリトリとはまた違う発見があると思ったからです。