往復書簡11通目

書簡 11通目 〜積極的姿勢の体験〜
from 石井力重

加藤さん

ありがとうございます。滋賀から兵庫に向かう電車の中でこれを書いています。アイデアの語るに語れぬ部分を相手に伝える5つの方略、とてもヒントになりました。そしてもっと相談の本質に迫る示唆をいただいたと思います。

さて、いただいた問い、
「直接体験と間接体験の比率」がらみについて。

 アイデアパーソンになるためには、やっぱり人と喋らないとダメですかしら? デジタル自体の昨今、絵文字的なアイテムを含めて「文字で会話」する機会がかなり増えてきました。これはおしゃべりなんでしょうか???

について、ですが想像性の大家でもあったA.オズボーンの考えを考える材料としてあげつつ、石井の私見を書いてみます。

オズボーンはその著書の中にて、インプットとしては、(加藤さんの表現でいう)直接体験をとても重視しています。本や映画は、精力的精神(頑張って想像してみる、感じようとしてみる姿勢)が強い場合には直接体験に近いよいインプットとなるが享楽としてただ受身の姿勢で接するならば、薄いインプットとなる、と指摘しています。

平均的な人にとって、間接体験の多くは後者となるでしょうが、アイデア気質の人の場合は少し違うかもしれません。

直接体験に近いインプットとしてぐいぐい目を開いて心を使って接している、ならば、間接体験に偏った体験構成でも直接体験が主となっている人とくらべてあまり不利にはならないでしょう。

そういう展開をしてきてみると、直間比率というよりも、「積極的姿勢の体験」「受動的姿勢の体験」の比率「アクティブ・パッシブ比率」という切り口で見るべきかも知れません。この切り口いえば「“積極的姿勢の体験”が高いほう良い」といえそうです。

加藤さんの文章にあった事例は、構図のこの位置だと思います。

直間積極受動の図

ティピカルな分類だと間接体験を右下(つまり、受動的姿勢)としがちですが、その人次第で、右上(つまり、積極的姿勢)になる。大事なことは、(この図でいう)左右の比率ではなく、上下の比率、なんでしょうね。

ただ、そこまで述べた上で「ぼんやり、南の島で過ごす」というのは、どこに入るのか、と自分に問うてみると難しいです。「南の島でのんびり過ごす」というリアルな良い体験は、のんびりしていたって良いインプットなんだろうと思います。

何でもかんでも、「感じるぞ!味わうぞ!」って力がはいっているのが、いいかといえば、きっとちがうんでしょう。

そういういみでは、積極と受動、という切り口を立てたものの、限界があるとも感じていはいます。
ただ、もうそこまで行くと「いいインプットの体験」と「いいインプットに出来てない体験」の比率が大事だ、って区切り方にするしかなくなってきて、堂々巡りのトートロジーに着地してしまうので、あくまでも、不完全ながら、そんな風に書かせてもらいました。

さて、そろそろ、往復書簡もそろそろ、ゴールが見えてきました。

最も聞いてみたかったことを、聞こうと思います。

この20年で発想法の本はずいぶん変わりました。シンプルになり、即効性のものになりました。洗練、といえば、大いに洗練された20年だったと思います。思考技法の表層化、といえば、もしかしたら、後年そう評価される20年だったのかもしれません。

この先20年で、社会から求められていくアイデア発想法の本は(あるいは、広くカテゴリーを切りなおして、創造技法の本は)、どのようなものになるんでしょうか。

この手の質問は、返しの第一声は「そりゃー、それが分かれば苦労しないよ」なんですが、その次に、洞察がつづられていきます。加藤さんの二言目を、ぜひ、教えてください。

石井力重
新大阪をすぎたあたりの新快速の中より

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石井力重さんと加藤昌治の「往復書簡」

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「発想法の使い方」の制作に一緒に携わってくれた(※)石井力重さんと、この一冊を起点にした疑問や質問をお互いにヤリトリしてみようという試み。「これだけ一緒に議論してたとしても、結構わからないことあるんでしょうね?」がキッカケです。

素直に対談、みたいなやり方もあるんだと思うのですが、今回は「往復書簡」スタイル。ヤリトリの間にある程度の時間を置き、答えあるいは応えをそれなりに推敲するーしっかり考え、考え直すーことで、当意即妙のヤリトリとはまた違う発見があると思ったからです。