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■notes019 現代アートと自分の企画を重ねてみると・・の戦略性・考。

仕事でアメリカに出張に行った空き時間を使って、MOMAを見てきました。

現在は建物自体が立て直し中でクイーンズでの仮オープン状態。展示点数もさほどではないのですが、いやあ、ありますね。印象派から現代アートまでが本当に目の前にありました。館内を行きつ戻りつしていてハッと気づきました。現代アートは「戦略的なアート」なんですたぶん(※)。というのは・・・現代アートは表現テクニックへのこだわりもさることながら
コンセプトが重視されている、と感じました。

そして再現性が非常に高いものが多い。繰り返し流すことのできる映像作品であったり
プリントが可能であるフォトグラフィであったり、移築可能なインスタレーションであったり。思うに現代アートにとっては表現テクニックだけでなく、企画としてのコンセプトが作品にとって重要なのです。誤解を恐れずに言い切ってしまえば「戦略的」。それに比べて、伝統的な絵画はあくまでも「一点もの」。企画性は実は弱かったりするのだなあ、と気が付きました。もちろん、写真やポスターなどの形で広範に情報化がされていますが、製作時点での企画性、という意味において、です。そしてコンセプトがはっきりしていて、再現性の高いものとは、非常に現代的、ビジネス的なアウトプットです。マス・プロダクション的な考え方につながっていきます。なるほどなあ・・と思い、現代アートはやはり20世紀に生まれるべくして生まれたことを実感しました。これは題材が実社会のものであるから、というのとは少々違う視点です。

で、自分の仕事のアウトプットに思いが行って。自分のアイデア、企画に
1)再現に耐えうるだけの企画性、コンセプトがあるか?
あるいは
2)一点もの≒ライブなアウトプットとしてのパワーがあるか?
と問いかけることをしていく1年でありたいな、と背筋が伸びた次第です。かとうも「人の記憶に残る仕事」を実現したいと思います。2004年が、みなさんのアイデアが爆発して収まりのつかない年になりますように!

※「現代アートはワカラン」という方、
  ぜひ西岡文彦さんの『私だけがいえる簡単すぎる名画鑑賞術』 (講談社SOPHIA BOOKS)を。
  わたしはこれで、開眼しました。 

■notes018 ことわざ・名言でも『カラーバス』。

近頃気に入り始めていることわざ(というか名言)があります。
世阿弥さん(※)が言い出した「守破離」。

シンプルですが、本当に本質的な言葉だと思うことしきり。ジャンルも選ばない名言ですよね。そして名言の『カラーバス』とでも呼びましょうか、「守破離」に似たフレーズをいろんな人の発言や、書物、新聞雑誌の記事から見つけることが多くなっています。不思議だなあと思いながら、勝手に自分の中で意味づけしていることが二つ。それは「自分にとって必要な時期に必要な名言とは再会する」こと。
そして「一時に集中的に出会うことで量から質への転化が起こる気がする」ことです。「守破離」なんて小学生の頃からたぶん知っていたんですよ。でも雑学というのでしょうか、自分にとっては意味のない(というか分からない)
フレーズでしかなかった。今は「そうだよなあ、なるほどなあ」ととても深く響くんですね。自分にとっての出会いのタイミング、とでも呼ぶべき何かがあるような気がしています。

そして、いったん気になり出すと、まあとにかくよく出会います。何度も何度も繰り返され、量のシャワーを浴びていると、「じゃあ・・そこまで云うんなら、やるか」と思い始める(って云われてはいないのですが・・)。量が質へ、具体的な行動に変化し始めるような気分になります。言葉・名言にしても「SEEからLOOKへ(さらにはDO)」があるみたいです。ことばのカラーバスをきっかけにして、名言という知識が、いつしか自分自身の行動に変われるとしたら素晴らしい。と同時に「コトバのチカラ」をものすごく感じます。ウン百年続くだけの名言は、人を変えてしまうだけのパワーがあるんですねえ。

・・・そうか、これこそ「座右の銘」ってやつか? 今までは「自分が好きなコトバ」だとばかり思っていましたが、「自分の行動を変える/律するコトバ」でもあるのですね。

※・・これはちょっと怪しかった。江戸中期の茶人である川上不白が称した、が一般的の様子。
   ただ思想としては世阿弥や利休のころまでさかのぼれる、とのこと。 

■notes017 出す、とぶつかる。

お休みの日に、ふと思い立ってインターネットの検索サイトで「考具」で検索をしてみました。

どのくらいインターネット書店があるんだろう、と探す気持ちで。調べてみて驚いたことは個人が開設しているホームページがとにかく多いこと。本当にいろんな人が『考具』を読んでくれています。ありがとうございます。そして嬉しかったのは「で、僕はこうしたい」「●●を始めた」・・
行動につながるような記述がたくさんあったことです。『考具』という既存の要素に、その人の人生がぶつかってその人にとって「新しい」考え方や行動、習慣が生まれ始めている。「出さな、あかんなあ」とエセ関西弁で思いました。たまたま書籍のカタチ(ウン万部というサイズ)でしたので不特定多数の方々と「ぶつかる」ことができましたが、やっぱり出さないと、ぶつからなかったワケです。

例えば本を読むという一次的なぶつかりが、ホームページに書く、誰かに話をする、それを誰がまたピックアップしてくれる・・・とぶつかりは続いていく。仕事上でも同じですよね。あなたのアイデア、今日の会議ではボツだったとしても
来週の会議で誰かが「そう云えばサ・・」なんてぶつかっていくのかも知れません。そんな「ぶつかり」のスタートを自分から始められたら素敵なのだなあ、と思った次第です。いろんなところで流用されて、それはおいらのアイデアじゃ!
と「著作権」が気になるぐらいまでやってみたいですね(笑)。 

■notes016 連鎖を追いかける、について。

『考具』の中でも、芋づる式・・にあれこれ手繰ることが結構役に立つ、と云ってきました。

実際に本を読んでいるだけでも、かなり芋づるのチャンスがあります。小説に登場する場所なんかもそうですね。ビジネス本ならその著者が引用している他の本だったり、紹介している店舗だったり、対談している人だったり。本に限りません。誰かとしている話の中にも、見ているテレビ番組の中にも、そこかしこにあります。インターネットのリンク、なんてのはそのものズバリです。情報というのは、単独で成立することはなく、ほぼ必ず連鎖していると云えるでしょうか。「アイデアとは既存の要素の・・」とも通じてきます。

ところでその連鎖、どのくらい追いかけていますか? それほど追いかけてはいないもんだと思います。後で・・・なんて云ってそのまんまだったりしますね。いざ鎌倉のときのためには、やっぱり日頃からネタをしっかり集めておきたい。集めておくためには気の向いたときにこの連鎖をたぐっておく、
自分なりに追いかけておくと・・後でとっても楽です。というのは、自分の興味関心度の高い情報とつながっているからです。現在手にしている本を「飛び出す」ためのきっかけはたくさん用意されていますよ。 

■notes015「聞き耳」とは自分の中にチューナーを持つこと?

先日、「聞き耳」をしました。
とある小料理屋さんでのこと。

聞こえてきた内容もさることながら、得た「気づき」がありました。それは「聞こえはじめた最初の言葉」。まあ隣同士で座っているわけですから、聞こうと思えば聞けるわけです。しかし当初は単なるノイズ。それがいきなり関心事に変わる瞬間があった。昨夜の場合は「●●って人がいい本書いててさ・・」というくだり。自分が敬愛している方の話だったのでした。さらにその後知っている社名がなぜか鮮明に聞こえてきたりして。お店を出た後、振り返ってみると
「自分の知っている言葉に反応していたんだな」と改めて認識。結局のところ「自分のアタマの中にある既存の要素」と
「隣の人から聞こえてきた要素」とがぶつかっている、ということなんでしょう。よく「いつもアンテナを張り巡らせて」なんて聞きますが
自分の側でも反応させる要素を準備してないと、張ったアンテナは意味をなさないかも知れませんね。BSとかCS放送だって、いつでも電波は飛来しているけれどチューナーがなきゃ画像にならない。この場合の「チューナー」とはおそらく2種類で
1)自分がたまたま? 知っている「既存の要素」(そりゃ、多い方がいい!)
2)いま知りたい、あるいは抱えて困っている「問題意識」(どれだけ真剣?)
 の2つ。最近のTVは各種チューナーを内蔵してますね。最新型だと「見たい番組をサーチ&自動録画」なんてできませんでしたっけ? 似たようなことなのかしら、と思った次第でした。 

■notes014 いくつかの考具を30余名で使ってみました。

先週の金曜日(2003/10/10)、某市の研修に講師として行って参りました。

『ワークショップ 考具』なる1日研修を約30名の参加者と一緒に実施。
カラーバス、マンダラート、アイデアスケッチ、ビジュアライズ・・など
実際にいくつかの考具を使って、
某市の某セクションに向けた企画案をつくりました。1日の研修としてはなかなかハードな内容だったかもしれません。参加された方々は、「えっ・・何やるの?」というスタートでしたが
だんだんと盛り上がり(と思ってます)、最後は素晴らしい企画が生まれました。最終的に全員に「1枚企画シート」を書いてもらいましたが一つもダブりませんでしたねえ。かなり面白かったです。某市に住み、お勤めされ、愛しているからこその企画がてんこ盛りでした。本当にアイデアって尽きないし、
個人(の生活や興味関心)から生まれるものですね。参加してくださった方々の習慣に
ほんの少しでも変化が生まれるといいな、と思う次第です。ついでながら、研修を企画してくれた某市ご担当者と共謀し、「アイデアパーソン認定証」なるものを作成。研修に参加された30余名を
勝手乍らアイデアパーソンに認定させていただきました。ま、なーんの権威もありませんけど(苦笑い)。 

■notes013 仙人になる、について。

今回も、かとうが受けた研修での「気づき」です。
研修っていいですね。いつも発見があります。

さて今度参加したのは、
問題解決のリーダーシップを取る云々、という企画(1泊2日)。
ネゴシエーションではなく、
協創的に状況をマネジメントしていくためのスキルを学ぶ、がお題。その中に「ゼロベースで考える」なる項目があって、例題として『竜馬がゆく』が取り上げられていました。竜馬がとある幕府の役人に「大政奉還してはどうか」と意見を云いに行くシーンがあるのですが、一人でふらりと現れた龍馬は「お互い仙人になって考えましょう」と提案するのです。要するに幕府の役人、という立場を離れて日本が当時置かれていた状況を考えてみよ、と云ってるわけです。これ、すごいですね。
超ウルトラレベルの「七色いんこ」です。例えが正鵠をついている。『考具』の中では相手/お客さまの立場になって考えてみよう、と役割を演じることをお伝えしましたが、仙人になれればスケールの大きな視点で物事を考えてみることが出来る。しかも空を自由自在に飛べる(気がする)ので、本当に自由な視点を獲得できる。研修のワーク中にも、その効果をひしひしと感じることができました。「ひとつ高い次元で考えてみる」と云われても動けないですが、「仙人になってみる」だと、とてもハードルが下がる。概念論だけで「視点を移動する」ことは六つかしいが、「身体ごと」なら簡単なんですね。何かに煮詰まったら、あるいは誰かと意見が合わなかったら。
ぜひ、仙人になってみてください。これ・・すごく使える気がします。 

■notes012 アイデアと発言者を切り離す

ってどういうことでしょうか?
前回アップしたワークショップ研修でのもう一つの「気づき」です。

研修後、数回試してみてその効果のほどを実感できました。通常タイプの会議・打ち合わせでは、発言している人に視線が集まります。これは「誰が話をしているのか」が分かる、つまり「発言内容(アイデア)と発言者が一体化」している状態。この場合、発言内容にコメントすることが、発言者(の人格)にむかってコメントする、と取られることになりがちです。ほめる場合はいいのですが、
修正を加えたり、疑問を呈したりするのは結構六つかしい。企業(や参加者間)の文化にもよりますが、年齢や役職が上の人には・・な状況です。思い当たりますよね?

そこで、
「物理的に」発言そのものと発言者とを切り離してみる。具体的には、ホワイトボードに書く。模造紙に書く。A4の紙に書く。ポストイットに書く。書いたら発言者を含めた参加者全員が見られるように、壁やボードに置いてしまうのです。書く作業を書記の役割の人(発言者以外の人)がやると一層効果的ですが、そうでなくともまず大丈夫。PC全盛期のいま、個人の筆跡なんて誰も覚えてません。この時点で
「発言者を見ずに発言だけを見る」物理的なシチュエーションができます。

するとあら不思議。発言内容だけを真摯に見られるし、検討できるんです。ホントです。もともとの発言者も自分の発言そのものを冷静に見ることができるし、その他の人たちは、発言者にこだわることなく、あーだこーだと意見を云える。カタチから入る、のはカッコつけの様にも思えるのですが、実は会議や打ち合わせを「デザイン」している。打ち合わせの流れが、そのデザインによって導かれていくことがあるんです。ホワイトボードを使うことのベネフィットはまだありますが、会議を意義ある場所にする方法としてはこの機能が一番かも? と思ってます。かとう自身、ホワイドボードのない部屋での打ち合わせは極力回避中です。アイデアと発言者を「物理的に切り離す」技。みなさんも3回ぐらい、お試しあれ。ほほお・・なるほどね、という感じで効果を実感できるはずです。 

■notes011 カタチが思考を左右する!?

先週、会社主催の研修に参加しました。
「HOW(TM)」(HAKUHODO ORIGINAL WORKSHOP)という名の
博報堂オリジナルワークショップに関する研修です。

中身については『わかる!ビジネスワークショップ』(PHP研究所)という本
をご覧いただくとして、この研修、とてもたくさんの「気づき」がありました。ここでお伝えしたいと思うのは
「頭の動き方は、使う道具のデザインによってかなり左右される」
かもしれない、ということ。

「HOW(TM)」にはいくつかのモジュール(作業の方法)が用意されているのですが、

その中のひとつに「●●●●●&●●●」というのがあります(制約があって書けません・・あしからず)。
手渡されるのは大小2種類のポストイット。
まず小サイズの付せんに書いたものを、まとめていって・・・いわゆるKJ法的な手法です。違うのはポストイットのカタチ。丸いのです。こんなのに凝っちゃって、経費の無駄じゃないの・・・と思いながら作業を進めていくと、不思議と結果がいい。普段四角いポストイットを使っての作業は数多くやっていますから、その違いを直感的ながら感じることができました。他にも各種のモジュールがあるのですが、とにかくそのやり方に従ってやってみると、やはりいい感じのアウトプットになります。メモのカタチが丸いだけでアウトプットが変わってくる。一見どうでもいいようなことですが、
頭の方ではそのシグナルを受け取っているみたいでした。 

■notes010 考具の素振り、について。

最近、アイデアを出す・・などの知的作業を身につけようと思ったら、部活動や小学校のドリルのようなやり方で始めた方がいいのでは、と思うようになりました。

いわば考具の素振り。
どうも大人になると少年時代のトラウマなのか、「同じことを繰り返して習得する」ことをしなくなる、
あるいは抵抗感のある方が多いのではないでしょうか?
かとうも同じです。いきなり本質を掴んで、すぐできる様になりたい!
そのためにどうしたらいいのだろうか・・と考えてしまう。しかしそれよりも一度徹底的にまねをした方がいいらしい。世阿弥いわくの「守破離」の「守」はそういう意味のようですし、クリエイティビティが要求されるファインアートの世界でも
「模写」は必須の課目です。英語なんかでも物真似上手は上達も早い・・とか。いざ鎌倉、の時に「えーっと・・」と手順を見直しているようでは
おそらく知的アウトプットを生み出すための道具としては使えないでしょう。完璧に熟知しているまでは必要ないと思いますが、だいたいは分かる、使ったことがある・・ぐらいまでは、ぜひ。自分がこれは、と思った知的道具については
取扱説明書がなくても使えるようにはなっていたい。そのためには、手や身体が自然に動くぐらいまでに繰り返して試しておくことがおすすめみたいです。

さて、何から始めましょうか? 

■notes009 スペシャリスト、になることに対する2つの恐れ。

ここ最近、自分の得意分野を自ら絞り込むことが推奨され始めているように思います。

ゼネラリストからスペシャリストへ、という流れ。論としては分かりやすいし、納得できます。しかし、かとうを含めてほとんどのビジネスパーソンにとって
絞り込むことはとてもとても怖いことです。なぜか?

2つの恐れがあるからだ、と思います。絞り込んだジャンルの当たり外れ、に対する恐れ。自分が選んだジャンルで、本当に頭角を現せるのか? という恐れ。

これはアイデア・企画の分野でもまったく同じこと。オールマイティにどんなジャンルでもOK! なアイデアパーソンはいません。人間、必ず得意不得意、がある。それを自覚していながらも認めたくなくて、
かといって自分の得意分野で「自信がある」とも云えなくて・・・で結局「どんな企画でも大丈夫です」と答えてしまっているような。それはゼネラリストという「逃げ」を打っているだけ、なのではないだろうか? と思うのです。どこまでいくのか、は別としてもまず一歩、踏み出してみる。一歩、といっても左足はしっかり置いたまま、右足だけそろりと。そんな勇気を持つことを余儀なくされる時代になりつつあるのかも知れません。一人ひとりは、もっと自分の専門分野を自覚して、その道のプロフェッショナルになるべく勉強を重ねていくべきなのでしょうね。例えば広告会社、という組織を考えてみても
「大したことないゼネラリスト×100人」よりも
「それぞれがスペシャリスト×100人」の方が
実は柔軟な、どんな課題にでも対応できる組織のはずなのです。自分自身が「組織」である必要はない。「優秀なパーツ」であれば、市場価値がある。そんなパラダイム変換ができないものでしょうか?

・・・やっぱり怖いですけれども。 

■notes008 コソ練、してみませんか?

久しぶりに仕事のない土曜日、畳でゴロゴロしながら川向かいの某女子校ソフトボール部の練習中のかけ声を
何とはなしに聞きながら考えたことです。

普通に働いていると、
自分を向上させるための努力をする、努力し続けることは至難の業。それは「誰からも強制されないから」だと考えています。中学高校時代の部活動のような、鬼センセがいないのです。さらに、スポーツとビジネスとでは
他にも決定的な違いがあることに気が付きました。

部活(アマチュアスポーツ)−日々練習で、試合は年に数回。プロスポーツ−毎日が試合。でもシーズンオフがあったり、キャンプという集中練習期間がある。ところがビジネスは年中無休で毎日が試合。ゲームをしていれば、自然と上手にはなるだろうけれども、それだけで果たして十分なのか? キャンプしなくてもいいのだろうか?

また、異動や転職、転社で仕事内容がすっかり変わった場合
(すなわち、野球選手がアメフトに転向したなら)、行った先の先輩・同輩たちと同じようなペースで試合だけしていればいいのだろうか?

ビジネスパーソンであるわたしたちは
「コソ練」をやるべきなのではないでしょうか。コソ練? 恥ずかしいし、面倒だし、時間もない。でもきっとやっておくと、試合が楽になるのは間違いない。最近は「失敗できない仕事」が増えてきているような気がします。試合中にいろいろ試す余裕がない。カバーするべき領域や仕事の深さも変わりました。昔と違って試合の数をこなすだけで十分、とは云えない環境になってしまった? もちろん、試合経験の豊富さは引き続き重要です。それにプラスして、どこかでコッソリ。松井選手だって、イチロー選手だってシーズン中も素振りしてますよね。業種・業界を問わず「ビジネスのプロ」と自負するならやった方がいいのかな、と強く思うようになりました。えらそうに・・ですね。ちなみにかとう自身は単純に本を読んでるだけです。でもそれでずいぶん助けられたことあります。実戦経験だけが「知的資産」ではないみたいです。本当は年に数週間ぐらい、暖かいところでキャンプできるといいですけど。せめて鬼コーチでも見つけましょうか? 

■notes007「いきなり書き出す」について。

仕事をしていると、あるいはビジネス(社会人)に近い世界になると、文書を書く、提出する機会が格段に多くなります。

企画書とか、履歴書とか・・いろいろあります。またインターネットの掲示板への投稿も入るでしょうか。要するに友達でない/知らない人が読む文章を書く・記入する機会が増えるわけです。ところが・・「いきなり書き出す」人が多いのではないか、と思っています。昨日提出したあの書類、頭から書き出してませんでしたか?

これ、よろしくないです。よっぽどの経験者でないと、いきなり書き出して満足できる文章にまとめられる人はいません。ありがちな失敗例としては
「5つ事例を書きなさい」と云われて、いきなり記入開始。最初はいい調子でも、5つ目に息切れ・・・するパターン。思い当たる節、ないですか??

あった方は、次からこうしてください。各種「考具」の使いどころでもあります。
1)まず、10個ぐらいのネタを出す (展開する)
2)その中から、5つを選ぶ (収束する その1)
3)さらに5つの中の順番をつける (収束する その2)

文書を書くのも、企画を考えるのも、頭の使い方はほぼ同じです。

ネタを仕入れて→頭から出して(展開して)→まとめる(収束する) 

こうしたステップを踏まずに、5つ書け、と云われて5つ出さないうちに書き始めてしまったのではイカンです。

いきなり書き始めるのは、かなり自分中心主義。読み手が楽しいかどうか、分かりやすいかどうか、を忘れがちです。まるでインターネットという大海原に「真夜中に書いたラブレター」
(朝読んだら破り捨てるヤツです!!)を投げ込んでいるみたい・・な。先日『少年カフカ』(村上春樹編集長)を読んでいたら、メールの返事にしてもあれこれ考えて(下書きをして)からデータをアップしている旨の記述がありました。作家だから当然? メールという「気軽な書き物」にしても、不特定多数が読むことを考えれば
準備して、下書きするという「作業」をしてからでないと出せないのです。メールですら、ですよ。履歴書とか企画書とかなら、なおさら。いきなり書き出さない習慣を持ってください。そういえばその昔は「下書き」ってよく云ってましたけど、最近はあまり聞かない気がします。パソコンってそのための道具としてはウルトラ便利だと思うのですが。 

■notes006 今月の「七色いんこ案件」。

おかげさまで最近よく取材を受けていまして、あちこちに出かけていっていろいろとお話をしています。お話、というよりも対話、の方が近いでしょうか。

自分の予想外のご質問を受けると、自分の頭が整理されます。話をするのはいいのですが、困るのは「撮影」。普段の仕事では取材のブッキングをする立場ですので、自分自身はカメラの後ろにいてアレコレヤレコレ・・・と申し上げているのですが、今回は自分が被写体。

笑ってください、と云われるのですが笑えないんです。
歯を見せて笑うこと、ってちゃんとやったことがないのでした。鏡でも見たことがないから、筋肉の動かし方が分からない。これでは、人に「もっとにこやかに!」なんて云えた義理じゃありません。「笑ってください」ではなく、「○○の筋肉を△△な感じで動かしてみてください」
と伝えてあげた方が写真やビデオを撮られることに慣れていない人にとっては嬉しい訳でした。今までの自分を猛反省。これまでにも気付くチャンスがたくさんあったにも関わらず、やってませんでした。一度でいいから、ちゃんと仕舞いまで自分でやってみることの重要さを改めて感じている次第です。みなさんの周りにもそんな「七色いんこ案件」ありませんでしょうか? 

■notes005 新しさは、「他」にある。

先日、家族と焼鳥屋さんに行きました。
おいしかった・・のは本題から離れるのでさておき、なるほど、と膝を打つ改めての発見がありました。そのお店は日本酒・焼酎が充実しています。滅多にお目にかかれない銘柄揃い。で、お酒を頼むとグラスに注ぐ前に
必ずボトル(というか瓶、ですね)を見せてくれるのです。そしてお酒ごとに使うグラスが違うという心配り。一緒に行った同居人はすっかり魅せられてしまいました。かとうは「これって・・どこかで体験した感覚だなあ」と思いつつ、そうだね、と賛成しながらハッと気が付きました。なぜか?
これ、BARでなら必ず目にする光景だったのです。カウンターがあるBARですと、
自分がオーダーしたお酒のボトルが目の前におかれます。またこだわっているお店なら、各種のお酒の味を最大限引き出せる形のグラスを用意しているものです。一見さんだったので、そこまで聞けませんでしたがきっと店主が取り入れたに違いない。焼き鳥屋さんという競合ではなく、BARという「他」業態からアイデアをもらう。これが新しいのです。大抵の人が焼鳥屋にもBARにも行くのですが、その2つが交わると、新しい。お客さんはその新しさに感動し、ファンになってしまうのですね。

このお店、やるなあ! と思ってすっかり酔っぱらってしまいました。 

■notes004「ウチの中モバイル」について。

(お詫びと言い訳と感謝)
本業が忙しく、かつまだ自分ひとりでこのWebをアップデートできない体たらくで失礼しております。
またおかげさまで売れ行きも好調です。ありがとうございます。

(本題)
ほんの1.5メートルの自由が、こんなに生活を変えるとは思いませんでした。『考具』の原稿を書くにあたり
同居人とパソコンの取り合いになるのは避けるべく、自分としては初めてノートブックタイプのパソコン(アップルのiBook)を購入しました。ついでに無線LANでのネット接続環境も導入。その結果、それまでは壁際においたモニターとキーボードに向かっていたのが、リビングにある机の上で作業をするようになりました。身体の位置としてはたった1.5メートルほどズレただけの「ウチの中モバイル」。しかし・・これは「革命」でした!

一見小さな変化なのですが、iBookの開き方はテキトー・気まま。その日の気分や机の上の散らかり具合によって30センチほど左右に移動したり、
30度ぐらい時計回り/反時計回りに角度を変えてみたりするようになりました。格好良く云えば「パソコンの場所に自分が合わせる」から
「自分のいる場所にパソコンを合わせる」になったわけです。

これが本当に革命的。とても自由を感じるんです。実感として、パソコンが「道具」になった気がしています。おそらくこの環境がなかったら本1冊分は書けませんでした。今になっても圧倒的にパソコンに向かう頻度が増えて、何の気ナシにひょいと開ける感覚でなじんでいます。道具そのものの使い勝手云々だけではなく、自分と道具の関係性がとても重要だったのです。家が狭いから、ではなく
自分がパソコンから自由になるための、パソコンを道具にするためのノートパソコンと無線LAN環境。ちょっとお勧めです。 

■notes003『考具』に取り上げた道具の新しさ、について。

「アマゾンドットコム」で2件ほど辛口の書評を頂戴しました。

・名前負け−「目新しい考具」がなかった (ただしこのHPの存在は評価していただけた)
・期待はずれ−「誰にでも書ける本」

実は、その通りです。かとうがオリジナルで作った考具はゼロ。既存の考具の「寄せ集め」です。アイデアに関する見解も既存の書籍に書いてあることです。では何故この本の企画が受け入れられ、実売にまで行ったのか? しかもアイデア本ではよい本をすでに持つTBSブリタニカさんから。

理由は2つだと思っています。
1)「アイデアを出すためのコツと方法」は、まだまだ一般的でない

  • 書評を頂戴したした方は「かなりの上級」とお見受けしました
  • すでに既存のものであっても「知らないものはないと一緒」なのです
    ※「ああ、あったあった」と思い出す人にも意味があるはず

2)既存の考具、その使い方の「割合に細かい実践編」である

  ※ここに「書籍としての新しさ」があったのでしょう
  • 「へえ、こんな程度の使い方でいいのか」と安心できる
  • 道具の使い方にも重点=あくまでも「インストラクター本」の域は出ない

ということなんですが、ご指摘はごもっともで反論のしようもありません。

実際の使用考具が既存であれ、オリジナルであれ
アイデアがポコポコ生まれる人には不要です、この本。ちょっと実践的なPCアプリの取説本みたいなもんですかね。1500円無駄遣いさせちゃいましたか? ネット書店の六つかしさですね。改めての発見ですが、立ち読みという課程を通じて読者が本を選ぶように、本も読者を選んでいるのです。この課題を解決するようなアイデア/企画ありませんかね? みんなでアマゾンに売りに行きましょう(笑・・・でもマジで)。(この本を好いな、と思う)読者の方々にご呈示したかったのは
新しい道具の登場ではなく「既存概念の打破と(古くても)道具の使い方」。「考える、って意外と大したことなさそうだな、オレ/ワタシにもできるかな」
「ああ、この道具をこうやって使ってるんだこの人」と思っていただけて、その方の手(アタマとカラダ)が動けばそれが無上の喜び。とはいえ
□タイトルが勝ちすぎている・・・そうかも。すいません。
□具体例がない・・出版社からは強く要望があったのですが、守秘義務等の関係でお断りしました。すいません。

・・・というのが著者の考えなのですが、どうでしょうか? 書評を寄せてくださった方、そうでない方もご意見をください。賛辞と批判とがあるのは健全なことだと思っていますので、どちらの意見も聞きたいです。 

■notes002ノートの使い方、再考。

先日、とある美貌の営業コンサルタントさんと打ち合わせ(という名の四方山話)をしていました。

かとうは非常に得るところが多かったのですが、彼女もとにかくすぐメモる方でした。「えっ、そんなの使い回しようがあるのかしら」と思うことでもあれこれメモされてました。なるほどやっぱり凄い・・と思っていたのですが、そんな流れで話がノートの取り方に及びました。かとうの持論「横罫ノートは好ましくない」を話しますと「わたし、普通のだ」とおっしゃる。それでちょっとのぞき込んでみたら、確かに横罫ノートでしたが、使い方は思いっきり罫を無視しているのでした。ページのスタートもど真ん中あたり。「こういうことなんです」「ああ、なるほど」でチョン、でした。やっぱり想像力豊かな人は、メモる。そしてノートのカタチが何であれ、似たような使い方をしているんだなあと実感しました。『考具』の中ではデザインのチカラを強調したのですが、自分でルールを変えることはできるわけです。いつもそのグッズがないとできない、となってしまうのも本末転倒。例えば会社支給の横罫ノートを使わなきゃいけないからだめだ・・・なんて思わずに、心の中で罫線を引き直して使ってみてはどうでしょうか。そんな自分勝手から始めてみるのもオススメです。 

■notes001『考具』はインストラクター本、です。

『考具』、いかがでしたでしょうか?
この本は「インストラクター本」であることを意識しました。

先生、コーチではなく、インストラクター。どうしてなのか、知的作業の世界ではインストラクション、
がとても少ないのが現状です。運動だと、たくさんあるのです。例えばフィットネスクラブ。インストラクターが自分の目の前で、真似すればいいカタチを示してくれます。一生懸命に付いていくと、ある程度出来るようになりますね。ところがアイデアを出す、という世界では
そんなインストラクターを見る、真似する機会が少ないのです。『考具』は真似しやすいように工夫したつもりです。とりあえずやってみる、と思ったときになぞれるように。

なので、わたしの手書きメモやらもサンプルとして出してみました。決して美しくないので恐縮至極ですが、実際の仕事はこのレベルで動いているのだ、と知って欲しかったのがあえてそのまま出した理由。そのままなので、真似しやすいはずだ、と云うことですね。『考具』がイメージしたのは小学校1年生時の「ひらがな練習帳」。うすーい線がすでに印刷されていて、まずはその上をなぞりました。何回かなぞると、字を覚える。覚えてしまったら、後は自由に自分なりの字体で書けるようになる。こんなイメージですね。何回か、で結構ですからなぞってみてください。ひらがな=アタマとカラダの使い方、を覚えたら、後はご自由に。アナタの個性でアイデアや企画をつくり出してください!