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■notes040 優秀な本屋さんと肉屋さん。

先日とあるパーティで、某書店の店長さんとお話しする機会がありました。

都内のビジネス街にあるお店でかとうもちょくちょく立ち寄るのですが、「売り上手」で有名な店長さん。いろんな手練手管?をお伺い。なるほど!!の連続でした。かとうからの質問は
「1日に200冊の新刊ラッシュの中でどうして売れ筋が分かるんでしょう?」
答えは
「装幀(表紙)をみて、普通の立ち読みのようにページめくるんですよ」
「そうすると・・分かるんですよねえ」とのこと。その瞬間、「肉屋と同じだ」と思いました。どの部位がいくらでどれだけ美味いのか。実際に食べる事なく判断し、値付けし、売る。なら本をもっと売るためのヒントがどこにあるのか・・・
いろいろ想像が膨らみますね。本屋と肉屋。かなり異なる2つのものを同じアナロジーに寄せてみるとものすごく分かるし、その次がみえる(多分)。という発見がありました。 

■notes039 オーケストラの演奏、という一つの企画。

先日、さる著名な指揮者に惹かれて本当に久しぶりにオーケストラの演奏を聴きに行きました。

もちろん素晴らしくって楽しんだのですが、彼ら・彼女たちのひとりひとりが指揮者とまさに一体となって演奏しているシーンを見て、ああ・・これは「企画だな」と思いました。指揮者のイメージという大きなアイデアがあって、それに各々のプレイヤーたちのアイデア(この場合は曲の解釈、と云うのでしょうか)があって。リハーサルの場を通じて、わがまま=アイデアがぶつかり合い、チームとして思いやられて、オーケストラという演奏=企画になっていく。

翻って、自分たちのチームはしっかりとリハーサルをやっているだろうか?
ディレクター(リーダー)は指揮者のように自分なりのイメージを持って臨んでいるか、チーム員はどうか?
ちょっと反省気味で演奏を聴いていました。指揮者と演奏家との間で葛藤のないリハーサルの結果としての演奏は、やはり味気ないものなんだろうか?

そういえばフェリーニに「オーケストラ・リハーサル」という映画がありましたね。実際にオケのリハーサルを見る事も可能みたいです。一度見に行ってみようかしら。
興味津々になってきました。 

■notes038 アイデアスケッチに署名する。

気がついたらもう2005年も7月・・。Notesを更新するのも半年ぶりのていたらく。

webにしてもblogにしてもきちんと新しくし続けている人、本当に尊敬します。
さて。
ここ数日、「アイデア会議」のカタチについてあれこれ考え始めています。考えた結果がどうなるか・・はまだ自分の中でも明確になっていません。で、その中で改めて思ったのが「アイデアスケッチには署名をしてみよう」ということ。手書きでもパソコン打ちでも、ヘッダーもしくはフッターに当たる部分に、
考えた人(つまりあなた自身です)の名前を書いておく。たったそれだけでアイデア力が上がる・・とは云えないのですが、
少なくとも自分がアイデアパーソンであるという自覚が出てきます。
署名する、とはやはり責任感を伴うものです。新聞でも、署名原稿はあまり多くありません。新聞記事を作る仕組み自体がチーム作業であり、記者→デスク→見出しは整理部・・・と多くの人の手を経て完成するからですが、某新聞記者に伺った話では、やはり署名原稿になると自分でも力が入る、とのこと。自らの「著作物」になるからでしょうね。そのフレームは同じで、アイデアスケッチも立派な「著作物」。堂々と自分の名前を書いてみてはいかがでしょうか。ただし一つだけ注意点があります。責任感のあまり萎縮して下らないアイデアスケッチを引っ込めては元も子もないです。アイデアスケッチは、数が勝負。自分では下らない、と思っていてもそれが他人にとっての大ヒントになるかも知れません。玉石混交なのを自覚した上で、あれこれ書いてみてください。 

■notes037 記憶の橋頭堡(またはアイデアの油田)。

久しく時間が空いてしまいました。
何度も見に来てくださった方、すいません。

今年(2004年)は、自分の脳が記憶している「既存の要素」をもっと信じるべし、みたいなことを云ってきました。「ワークショップ考具」でも「DODA関西版」の不定期連載においても。それをどうやってほじくり返すか、が今回のお題です。最近意識し始めた、「記憶の橋頭堡」と称している遊びがあります。私たちは、結構大量なボリュームの記憶をすでに持っているのですが、
その中で今すぐに口に出せる、顕在化できるのはほんのわずかでしかありません。「えーっと、あれなんだっけ?」ならまだいい方で、云われて初めて「あ、そういえば」な記憶がたくさんありますよね。そういうタイプの記憶をエイヤっと海面上に引きずり出すことができたら、アイデアの幅、個数を稼ぐことが相当ラクになるのではないか、と思うのです。

そこで「記憶の橋頭堡」。自らの記憶の海に、突如ぽつんと言葉の石を投げ込んでやります。自分が全く予期しない(予期できない)言葉を投げ込んでやることで、「あ、そういえば」を半強制的に発生させよう、という算段です。もしかすると新しい「考具」に近いかも知れません。

遊び方はもう簡単です。お手元にある本やら雑誌やらの任意の一ページをぐいっと開く。そこに並んでいる言葉をボーっと、ザーッと見回していきます。例えば「富山県」「高岡市」なんて言葉が目に入る。本当に偶然です。で、「富山県といえば・・」と連想ゲームをスタートさせる。
「かとうの友人のIくんが転勤してた」「ヤツは運動神経がいい」「今月結婚した」
「結婚式のご来賓だったIくんの上司は、高校の大先輩だった」「高校といえば、あの校歌」・・・
例によってとりとめありませんが、日頃と違う文脈で自分の記憶をたどれます。とある小説を読んでいる途中で気になる言葉に出会い、
気が付くと小説の筋と全然関係ない世界で妄想にふけっていることがありませんか?
それと同じ事なんですが、ややそれを意識的に遊んでみるのがこのやり方です。

お勧めの導入トレーニングはカラオケ。分厚い歌本ながら、いっつもレバートリーは偏りがちでしょう?
エイヤ、でページを開いてみてください。「知っているけど歌わなかった歌たち」があなたを待っています。早速年越し、新年会から試してみたら、「お、今年の●●はひと味違うねえ」なんて云われたりして。でもその変身、何かを追加したわけじゃなくて、自分の記憶の中から引っ張り出してきただけですから、意外に楽チン(歌詞も出ますし)。自分が今までに溜め込んできた記憶の海には、まだまだ「アイデアの油田」が埋まっています。

■notes036 視野を広げる とは カメラを引く こと!

出張の移動中、とあるファシリテーションの本を読んでました。

本文中に「参加者の視野を広げるように・・」と書いてあって、フッと思い出したのが『Powers of Ten』というビデオ(※)。椅子のデザインなどで有名なイームズ夫妻の作品です。シカゴだったかの公園でリラックスしている人を1/1の起点として始まるビデオは、最初にぐんぐんカメラを引いていきます。アッという間に人間なんて見えなくなって、アメリカ大陸になって、地球になって・・・と銀河系を越えて拡大していきます。あるところまで行ったら今度はキューっと戻ってきて、
また1/1に戻ってから今度は拡大していきます。最後は分子とか中性子とかの世界まで。

と思い出していたら、そうか、と気づき。「視野を広げる」ってのは「隣のものが視界に入ること」なんだ!

カメラを引いていくと、寝ころんでいる人の周辺にあった(けど最初は見えなかったもの)が視界に入ってきます。隣にいた奥さんとか、公園の形とか、脇を走る車とか。視界に入る、ということは「一緒にミル」すなわち「比較する」だったりする。その一方で「視野を広く持って」と云われたときにやりがちなのは
「その対象を抽象化する」ことだけに終わったりするのでは、と思うのです。万年筆→文房具、みたいな。カメラを引いてみると、万年筆と紙と、コップとペットボトルと・・(これ実況中継です)が、目に入る。文字通り同じテーブルの上に載っかります。そうなると、あれもこれもあるな・・と複眼思考に強制転換されそうです。ファシリテーション的に翻訳すれば
「視野を引いてみたら 隣に見えてくる他のものは何ですか?」と問いかける感じ。もっとも、引きすぎたら「大宇宙」になっちゃうんですが。何に役立つのか?
まだ分かりませんが、とても新鮮な気づきでした。

※・・昔は1万円したビデオが今はDVD、ウン千円で入手できます。くそー。 

■notes035 チームで考えることの有り難さ。

いやー、苦しかった。
先週まで、一人きりでアイデアを考えなければならない案件が2つもありました。

自分が担当することになっていた領域が一人だったものですから、他のスタッフとの打ち合わせに際してそれなりに自信があるアイデアを出すことができず、最後まで四苦八苦しました(最終的にはなんとかなりそう・・です)。一人きり、で最後まで考え切るのは本当に大変。黙々と机に向かってもこれだ!になっかかなたどり着きませんね。ところどころでアイデア(その時点ではまだダメアイデアだったりしますが)を誰かと話し合うことを何回か繰り返しながら・・のステップが踏めると助かるんですね。それぞれが考えたアイデアを持ち寄り、
テーブルの上にズラリと並べあれこれ「みんなで」悩むことの仕合わせ。打ち合わせを称して「自分と他人の脳を混ぜる」という云い方をする人がいますが、
まさに拡げてから絞る、のプロセスです。ブレスト、のカタチになるかどうかはともかく、考えたことを誰かにぶつけるチャンスを作っておくことは必要だなあ、と思った次第。もちろん、考えた「後」にぶつける順番は大事ですけども。 

■notes034 UK探訪記 第8日目。

いつの間にか最終日。
宿からノッティング・ヒル方面へ向かってブラ歩き。

農家が集まる産直マーケットと、とある食料品店(と併設のカフェ)とにぶつかりました。いずれもまあガイドブックには載ってなさそうなところ。観光地ではないがゆえに、現地生活者の様子がリアルに見て取れます。ちょうど今抱えている案件との関係もあって
お茶をしているお客さまの組み合わせに目がいきました。特に後者のカフェでは、いろんな組み合わせの人たちがブランチ。面白いな、と思ったのは年齢を超えた組み合わせが多いこと。親子かどうか非常に判断に迷う老女と壮齢男性のベア。仕事の話をしているかどうか、老人の男性と若者のペア。密談している風の4人組。日本(あるいは東京)では、家族系以外で年齢の離れた組み合わせを見かけることは割合に少ないような気がします。どうしてなのかはよく分かりませんが、面白いな、と。いろいろな気づきのスタートになりそうな、最終日の発見でした。旅、の有効性はよく云われていることですが、確かにと実感。
普段はどちらかというと書斎派なかとうも、久しぶりによく歩きました。今すぐ役立ちそうなことは少ないのかも知れませんが、ポコッと出てきそうです。 

■notes033 UK探訪記 第7日目。

ロンドンに戻ってきて金曜日夜のパブ、へ行きました。

店に入ったのは21時頃。すでに食事は終わりで、後は延々とお酒のみ。店内は相当の盛況。かなりの人数が立ち飲みです。英語能力が低いかとうなのですが、エールを飲みながら「聞き耳」してきました。

あちらの方は見た目から年齢が想像しにくいのですが、まあ20代後半から30代半ばまでのカジュアルな人たち、がこの店の客層でした
(数日前に行ったパブでは相当数が上着を着ていました。お店によってかなりやって来るお客さんが違うようです)。ほとんどがグループで「××で飲んでいるから」的な合流の仕方っぽい様子。女の子の周りをブンブン飛び回る男の子や、なぜか話の輪から離れがちになってしまって、人の肩越しに首を突っ込んで話題に加わろうとする人・・。

これって日本と同じだな、と思いましたね。基本的な人間としての行動や気持ちや人間関係はかなり同じなんでしょうね。ただ、とりまく環境は大きく異なります。飲んでいるお酒も違うし、おつまみのあるなしはある。立って飲んでいたり、店自体が基本的に23時には終わってしまったり・・と違いも沢山あります。同じところと違うところ。この塩梅を見極めて、アイデアに香らせる。これがポイントでしょう。先の項でローカルさとインターナショナルさについて触れましたが、このバランスを自分の中に知識として取り込んでいるかどうかが、地域や環境を越えてプランナーとしてやっていけるかどうかの境界線ではないか?
そう思いました。 

■notes032 UK探訪記 第6日目。

1日前からレンタカーでロンドンを脱出。
怖いもの知らずで運転をしています。

ロンドンから10キロも離れると、もう緑・緑・緑。そのまま北上してコッツウォルズ地方(昔ながらの建物や村の様子が維持されている地域)を
ぶらぶらしているのですが、風景はほとんど変わりません。空が青か灰色。森や林が緑色で、居並ぶ建物は茶色系。いたって地味なシーンがひたすら続きます。そんな中で目立つのが、行き交うクルマのカラーリング。ヨーロッパって派手なんですよね。
でもそれが地味な風景の中では良い感じにマッチしているんです。日本で見ると「なんでこんな色を用意したんだろう?」といぶかしがっていたカラーが、良いんです。デザインもしかり。えー、こんなのアリ? と思っていたクルマが実によかったりして。ちょっと自分の色眼鏡を反省。

そういえば、ロンドンにもいわゆるビルボードはほとんどありません。古い建物も多く、色目も地味です。その分バスやタクシーの車体広告が目を引きます。ところ変われば品変わる? アイデアのローカルさ、に改めて気が付きました。土地の文脈を理解することが大事なのかな、と。アイデアや企画単体ではなくて、その企画が置かれることになる環境との関連性が重要。マーケティングでは「差異化/差別化」と云われますが、それも相手あっての違い、でした。改めて振り返り、いま考えようとしているアイデアの周辺環境についての知識って十分だろうか、とまたしても反省。またその辺を無視しての「インターナショナル」な企画ってのも善し悪しがあるのですね。とはいえ、先出のアートのように、地球規模で人間を感動させるアイデアもある。本当に優れたアイデアは、土地の文脈を越えるのもまた事実のようです。 

■notes031 UK探訪記 第5日目。

この日に目に付いたのはとある英国庭園のトイレにあった水タンク。

日頃見慣れているものに比べると4割り増しぐらいで平べったいのです。水タンクのデザインをしろ、と云われてもこの形はちょっと思いつかないなあ、と妙に感心。一番見慣れているもの(日に数回は見るわけです)こそ、一番固定観念に囚われやすいのでしょうか。 

■notes030 UK探訪記 第4日目。

こちらにいると、「部屋」というコンセプトが大事にされているのを痛切に感じます。

例えばバッキンガム宮殿。「緑の間」とか部屋ごとに名前が付いていて、内装がまるで違うことになっています。今日訪れたハロッズのフードフロアも同じでした。厳密には隣同士が完全に区切られている訳ではありませんが、部屋ごとにまるで違う国のよう。壁の文化、がそうさせるのでしょうか?

ひるがえって日本の場合は、もっとひろいパースペクティブで空間を捉えているような気がします。壁の概念も薄いですし。日本の国内で行われる企画として「部屋コンセプト」がはまるかどうかは謎ですが、ちょっと試してみる価値はありそうな気がしました。 

■notes029 UK探訪記 第3日目。

こちらに来て、できるだけ心がけたのが教会に行くことでした。
建築、空間を体感する目的とともに、宗教という「習慣のデザイン」がどのようなカタチとして実行されているのか、を知りたかったのです。

3日目に訪れたのはウエストミンスター大聖堂。平日の1730過ぎ、まさにミサ(というのかな?)が行われていました。聖歌隊に牧師さんの説教・・と厳かに儀式が進みます。参加しているのは100人強。観光客もチラホラとはいましたが、ほとんどが地元の方でした。キリスト教の教義云々とは少々離れて「習慣のデザイン視点」からみると、まさにカタチのオンパレード。

そして儀式が進むに連れ、みなさんの雰囲気が変わっていくのが肌で感じられます。真剣に祈りを捧げる方々は、「戻る」ことを欲しているのだろうな、と思いました。定期的に自分自身を回復する、あるいはピュアな自分にリセットする。そのためのキッカケというか段取りというか・・そんな意味合いがあるのではないか。

なだいなださんに「神、この人間的なるもの」という著作があります。その中でも大胆にも、極論すれば「神」はなんでもいい。人は信じる、という行為そのものを求めているのだ・・という趣旨の記述があります。なださんが書いているがゆえにおお、すげえぜ、と感じる訳ですが、この本を読んで以降、宗教の持つ習慣的な儀式の意味を考えるようになりました。

そんなこんなで、ロンドンのカテドラルの中にいて「戻る、ための習慣のデザイン」を感じたわけです。習慣は、人生を大きく変える力があると思います。例えばブランディングと呼ばれるコミュニケーションに於いても、習慣のデザインまで踏み込んでいかないとなっかなかブランドとして定着しません。

そして習慣とは行動です。身体が動くことです。一発ものの、スッキリ系の企画も愉しいけれど、地味ながらも人生を変えてしまう、習慣というアイデアや企画を作ることが出来たら、プランナーとしてはしびれるなあ、という思いがよぎりました。やや不遜かも知れませんが。

■notes028 UK探訪記 第2日目。

最初のマジメな活動日である2日目には、テート・モダンという美術館を訪問。
ここが一番見たかったところ。マーク・ロスコの部屋、があるのです。

千葉県の川村記念美術館にあるロスコ部屋と連動しているとのこと。ワクワクして出かけました。それはそれで感動したのですが、その隣の部屋で「やられた感」をもらいました。部屋の四面を、向かい合わせの2面を対にしての構成。マーク・ロスコの明るめの1枚の向かい側にモリス・ルイス。これは長方形の短辺。そして長編側には、モネの睡蓮に、ジュネス・オリツスキーを「対決」させていました。お伝えしたいのはそれぞれの絵が素晴らしいかどうかではなく(もちろん素晴らしいのですが)、そういう構成を施した学芸員の編集技の素晴らしさです。ロスコとルイス、モネとオリツスキー。似ているのだけれども、違う表現になっています。

この対比に気づく展示構成が、とても感慨深い。作家によってアプローチがまったく異なるのか・・というアウトプットの多様性に驚きました。美術館(展)というとついついアーティスト名や制作された年代で括られがちですが、それでは発見できないことが沢山あるんですね。しかもその「発見できた新しさ」はアートのプロフェッショナルである学芸員でないと、現実化=企画にできない。

その展示室の中で、東京は根津にある、とある書店さんを思い出しました。こちらも作家別の陳列をほぼ無視されていて、いわゆるテーマでまとめています。とても企画性があるんです。具体的には、並んだ本の背の高さが凸凹になってます。本屋によく行っている身としては、これは非常に斬新。初めて見たときには本当にビックリしました。書店員さんの編集の技、がそこにはあって、当然受け手であるお客にビンビン伝わってきます。

それと同じような編集の技でできた現代美術の展示室。目的があって、作品を集めてくる、選ぶというプロセス、苦しいけども愉しかったんだろうなあ・・とちょっと悔しい気持ちがしました。

■notes026 いい企画が持っている視点・考。

先日タクシーで移動中、運転手さんと世間話。

「今年は暑かったですねえ」
「ですね。猫がいなかったもの」
「猫ですか」
「そう。毎年何度急ブレーキ踏むか分かんないよ、夏は」
「へえ。でも今年は」
「そーね。一度もなかったなあ。去年は涼しかったから大変でしたよ」

暑さのバロメーターとしての「真夜中の猫たち」。恥ずかしながら事実(情報)としては知りませんでしたが、聞くと「なるほど!」と分かる。プラナーとしては、ちょっと「やられた」感。いい企画ってそういうところがあるよな・・・と連想が横にそれながらクルマに揺られていました。 

■notes025 出張先で必ず買うもの。

ってありますか?
七色いんこ、あるいは聞き耳の変形技として、最近始めた習慣があります。
それは「現地で新聞を買う」ことです。

持って帰ってきて、部内で回覧することも始めてみました。地方紙(全国紙/スポーツ紙の地方本社版含む)は発見の連続です。記事となる話材がローカル色豊かで「へえ」「ほお」「知らんかった」。そもそも一面が違いますから。もちろん広告も「なーるほどね」。

紙面の構成そのものが大きく異なることがあります。TV欄がここに来るのか・・なんて。ちなみにTV欄にもいろいろネタが埋まっています。いわゆるローカル番組もたくさんありますし、TV局ネットワークの関係で同じ番組が東京とは違う時間でオンエアされていることも結構あります。このお昼の番組を夕方に見る、ってことはどうなんだろう・・? と紙上七色いんこのスタートになるわけです。

人間、どうしても自分が今住んでいる場所の「常識」を起点に考えがちですが、あなたの企画を楽しむ人たちがどこで暮らしているのか。日本全国津々浦々、とはそれぞれの地域の集合ですし、市場として重要な地域は意外にも離れている、ことはないでしょうか?

実際の生活を深く知ることはなかなか六つかしいことかも知れませんが、一歩でも二歩でも近づくことは十分可能です。と同時に、大きく違う生活環境に対して提供されている「情報=既存の要素」を拾うことができれば、いま抱えているお題に好影響を与えてくれるのですね。それで助かったこと、いくつかあります。

新聞、100円ちょっと。バカにできません。

■notes024 ブレストを豊かにするための脳内SCM・試案。

ブレーンストーミング(略してブレスト)で怖い瞬間。
それは無言タイム≒アイデアが止まること。

最近流行のワークショップ(WS)でも、同じ事があります。WS中にブレストをすることが非常に多いからです。ブレスト、ということで、いろんなアイデアやケーススタディなどをひたすら参加者が出していくことになりますが、ここでみんなの口が止まる、手が止まると厳しい。一度静かになってしまうと、場としての発展性も失われてしまいそうになります。

しかし実際のところ、手が止まってしまったといっても頭の中までがすっかり空っぽな訳ではありません。他の人の「サンプル」を聞けば、ああそうだ、と共感をしてくれるケースがほとんど。

単純に脳の奥底にある記憶が引き出せずにいるだけなのです。この壁を乗り越えるためのヒントは「ブレスト≒会議中であっても、"個人の時間"を作ること」だと睨んでいます。

具体的には2つほどの処方箋をあることに気が付きました。
1つめは 質問の出し方を変えること。コーチング/ファシリテーション的なやり方です。人間は不思議なモノで、聞かれ方が変わると急に答えを思い出したりします。例えば「最近面白かったことありますか?」と聞いても出てこない場合に「ここ24時間以内で面白かったことは何ですか?」「お年寄りが見たら面白い、と感じるようなことはないでしょうか?」と、WhenだったりWhoだったりと5Wのどれかをずらす、絞り込んでより具体的に想像しやすいカタチで問いかけ直してみると、記憶がつながるキッカケになったりします。新しく問いかけられると、フッと自分一人になる瞬間が発生します。個人の時間をつくる一つのやり方です。

そして2つめは 半強制的なツールを使う方法。これはある程度明確に個人作業の時間を設けることです。拙著でもいくつかご紹介していますが、ポストイットを使ったり、マンダラートを使ってみたりということです。ツールそのもののデザインのチカラも借りながら、記憶を引きずり出す手助けをします。この時も個人の時間を確保することでいったん場の流れを断ち切ってアイデアを出しやすくする環境を整えてしまおう、という考え方ですね。

所詮、アイデアとなるための「既存の要素」は、個人の記憶に蓄積されている何かであることがほとんどです。普段からあれこれ想いをめぐらす習慣(というか癖?)をもっている人は、いざブレストになってもそのまま対応できるのですが、慣れていないとスッとは入れません。

あるいはすぐに脳内在庫が(一見、ですが)捌けてしまうのです。やや強引ながら例えると、ブレストを豊かにするための、脳内SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)。そんな視点と仕組みとがあると、ブレスト運営の六つかしさが楽になるような気がしています。

■notes023 2つの想像力。

アイデアを出し、企画をつくるときには絶対に想像力が必要になります。
まだ誰も見たことのない(に違いない!)何かを考えるのですから当然といえば当然。
想像力、とまとめてしまうとそれまでですが、実のところ2種類の想像力を使い分けることがコツのひとつだな、と気が付きました(先日戴いたご質問への回答を読み直していたときのことです)。

2つの想像力とは
1)アイデアを考える、思いつくための自由奔放な想像力
2)アイデアを企画に詰めるための詳細な想像力

アイデアを見つけるためには、何らかの「既存の要素」をヒントや踏み台、橋頭堡にしながらアチコチ飛んでいく事になります。最終的には面白い(笑える、という意味だけではなく)アイデアが浮かべばよいので、自由奔放に飛びまくることがキーになったりします。

俗に云うところの「頭を柔らかく」ですね。これは何となくそうだろうな、と思う。また六つかしいのも事実で、この壁を乗り越えるための数多の発想法が考え出されてきました。かとうが「気づき」だと思ったのは2つめの想像力。ポテンシャルのあるアイデアを他人に説明できる企画へと昇華していくときには、そのアイデアが持つぼんやりとした輪郭をはっきりさせていくことが必要です。

広告会社の社内用語では「詰める」と云い習わしていることが多いでしょうか。「詰める」とはシミュレーションをすることとほぼイコールです。こうなったらどうなる、この場合はどうだ・・細かい点までできる限り徹底して想像して、その答えを用意しておくことが企画としての完成度の高さにつながります。
イベントの企画を詰める時にはこの種の想像力がとっても大事。屋内と屋外ではどう違うのか、雨天なら? 参加人数が倍になったら? この看板を見て、来場者はどう思うのか?

・・「詰める」べき点がホントにたくさんあります。
企業などが行う記者会見でも綿密な想定質問と応答集(Q&A)を準備するのが普通です。これは正に想像力の集合体。何を聞かれるか、どこまで聞かれるか、を想像し尽くして、かつそれぞれに対して適切な返答を用意しておくことで、「○○○をマスコミにドーンと発表しようか!」という"アイデア"が「○○○発表記者会見」という"企画"になる。

この2つの想像力、どちらも大切だと思います。何かを考えているときに、いまどちらの想像力を使う段階なのか? なんてことを思い返してみてください。何をするべきなのか、ちょっとスッキリするかもしれません。

■notes022「云い出しっぺ」と「云い変えっぺ」

一口にアイデアパーソン、といっても
「云い出しっぺ」と「云い変えっぺ」の2つのタイプがあるのではないか、
という仮説を持つようになりました。

一般論としてのアイデアパーソンは「云い出しっぺ」がそのままイメージでしょう。たくさんのアイデアメモを打ち合わせに持参し、
ブレーンストーミングの軸を作っていく人。いわば企画の源泉です。
こうした人がいなくては企画の生まれようもありません。これは確かな事実。

と同時にフッと出てきたアイデアをネタにして、
それを(それらを)縦横無尽に膨らますのが得意な人がいます。「それって、こうなんないかな・・」とか「その○○をこんな感じにずらしてみたらサ・・」てな調子で
みんなの意見をまぜこぜにしながらアイデアを発展させていく。時には原型を留めないくらいまでに変形したりしながらもなるほど、と頷いてしまうアイデアをその場でこさえるタイプです。
見方によっては尻馬に乗っているだけかも知れませんが、ある「アイデア」という原石を完成度の高い「企画」に昇華させるのもまた、ひとつの技だと思うのです。

チームで仕事をしているのであれば、最終的に社内やクライアントに提案する企画そのものが問われる事になるわけですから、プロセスの途中での参画の方法はいろいろあって好いはず。「云い出しっぺ」だけに価値があるとは限りません。むしろチームの中にこの2つのタイプのアイデアパーソンが入り交じっていることの方がより大きな成果を生むでしょう。というのも「云い出しっぺ」だけではたどり着けない企画としての着地点(選択肢)も数多くあるだろうからです。「云い出しっぺ」が生みの親なら「云い変えっぺ」は育ての親。アイデアが企画として立派に成長するためにはどちらも必要なんですね。とはいえ独りぽっちでのプランニング作業や、とにかく急ぎで、なんて時には
「云い出しっぺ」と「云い変えっぺ」の演じ分けができれば最高!
・・・なんでしょうが、負けず劣らず「云い変えっぺ」も立派なアイデアパーソン!
(と勝手に認定)

さて、あなたはどっちのタイプでしょうか? 

■notes021 自分の庭、がありますか?

先日出雲はA美術館というところへ行きました。

ここは日本庭園が有名なところ。何でも某評価によると日本一とか。で、そのお庭、見ました。
じーっと見つめてみたのですが、あんまりピンときません。おいらには日本の美が分からないのか・・と思いつつ背後の壁を見ると
四季折々のポスターが4枚。同じ構図での春夏秋冬です。なるほど! 「庭の楽しみ方」が掴めました。庭って全体を見る、というか感じるものなんでしょうね。じろじろ見るよりは一瞬で。つまりは変化を楽しむ定点観測。ということは何度も何度も目にしないと意味半減!? だからすぐに目にできる自宅の中(それが借景だとしても)にあるんですね。そうか・・
季節を変えてまた行かないと本当の良さが分からないのね、と納得。なんてことをぼんやり浮かべて見学順路を進みながら
自分の中の「庭」を探してみました。アイデアや企画を求めてアレコレと新しいものを探すのも、あり。と同時に変化を楽しむための定点観測地点=庭を持つのもアリだな、と。あなたにとっての「庭」はどこにありますか? 

■notes020 現代アートは「編集の技」でできている!

MOMAレポート第2弾です。
グルグル、そしてボーっと、さらにジトーッと「ミた」結果のもう一つの気づきがあります。

それは現代アートは編集の技でできている、ということ。素晴らしい言い換えのマジックなのですね。巧みな言い換えの表現によって、
自分の記憶に近い世界、あるいは(当時の)社会に近い世界で我々を引きずり込んできます。例え話がうまい、というか。性的なイメージに変換されている作品が多いのも、そのためなのかも知れないなあ、と。

そういう意味では非常にアイデアが必要なアートなんだな、と感じました。「WHAT」=何を表現するか、がかなり考え込まれてから製作されている印象です。製作者の脳裏で表現の目的がはっきりしているから、その目的をあぶり出すためのあれこれとした言い換え=「HOW」を練りまくっている。

そんな視点で再度ぐるりと館内を回ると、美術史の「流れ」を感じました。目の前にあった風景や事象を描くことから
描きたいシーンを探しに行く、なかったら自分で作ってしまう方向へのシフト。そしてやっぱり「WHAT」と「HOW」との両方がないとアカンのです。仕事も同じやなあ・・・。うまい言い換え、ひとつでも二つでも実現したいものです。いろんな作品が一堂に会している美術館でなかったら
こんなことにも気が付かなかったんだろうな・・と思った次第です。