■notes201 「わがまま」になりましょう

「わがまま」に二つの意味

があるんだな、と気がつきました(いまさら!)。

ワークショップでは、「わがまま」になりましょう、
とお願いをしてワークしてもらっています。

これ、改めて振り返ると二つの意味がありました。

一つは Whatとしてのわがまま。
別の云い方ならターゲット、に近い意味。
ワークショップでは、特に「誰のわがままか?」は
設定しないでやることが大半なので、
多くの場合は、参加者自分自身の「わがまま」になります。
まさに自分自身が思うことをそのまま出してもらう格好です。

もうひとつは HOWとしてのわがまま。
やり方として、我慢したり遠慮しないでアイデアを出す、
人に見せる、という手法論。

ワークショップでは、あえてごちゃまぜにして進めていますが、
実際の仕事では Whatは自分ではない誰か、
例えば「35歳の主婦」に置いたうえで、
やり方としてわがままに。
35歳の女子に成りきってわがままに、
という「演じきる」が必要になるでしょう。

拙著『考具』の「臨時新聞記者」の項に近い感じ。

Whatが誰であれ、わがままにHOWするところは変更なし、
がポイントです。

かつ、What的にわがままになるためには、
相手のことを知らないとダメでしょうし、
それがデータ的なものだけでよいのか、
ビジネス・エスノグラフィー的なアプローチがいいのか。
はたまた演劇ワークショップ的なところに
飛び込んでみるのがいいのか・・・。

ふたつのわがままを独立的に使えるといいんだな〜。